ロスト・カラー・ロスト








大切だから その花はせめて隣で 

 

眺められればいいと

 

 

 

 

乾いた貝や珊瑚で出来た細かな砂が、踏まれたことにより優しい音をたてた。
風の音もなく、木々のざわめきもないその無音の場所で、クラウドの歩く足音はゆっくりと響くようだ。

ここは、『忘らるる都』。

大切なものが眠り、そして忘れることが出来ない場所。

けれどここに、もう何もないことをクラウドは知っている。

神殿がある奥に歩き始めると、壊れかけた建物の片隅に、人ならざる物たちの姿が見え隠れする。
じっとこちらを伺っている物もいれば、何も気がつかぬようにただ立っている物もいる。

彼らがクラウドを襲うことはない。
それはクラウドが自分たちに危害を加えないとわかっているのかもしれないし、ただ何の興味もないだけかもしれない。
ただそんな彼らは、この場所と、『彼女』を、守っているような気がしていた。

無音の世界に、クラウドの足音と息遣い以外のものが聞こえ始めた。

波の音。

ゆらゆらと、風もないのに揺れる水面。

その岸に立ち、下を見やると、そこにいる自身の姿が水へと映っていた。
黒い影が立ち尽くし、波打つせいで自分の顔は良く見えなかった。

そして映る左手には、自分には不釣合いとしか思えない、あでやかな赤。

水面からようやく眼を離し、クラウドは実際の自分の左手を見る。
そこには赤い花が束ねられていたが、花たちは少しずつその花弁を散らそうとしていた。

音もなく落ちた花びらが数枚、水面に別の螺旋をつくった。
くるくると回りながら、水の上を滑っていく。

この花は彼女に届くだろうか、とクラウドは思う。

湖の下で眠る、かの人に。

一人でこの場所に来たことを少しだけ後悔していた。

(もっていかれそうになる・・・)

過去に、あの時に。

この場所で。

目を眇め、クラウドは水の下をうかがい見る。
澄んだ水はとても綺麗な蒼だったが、その奥までを見通せないことは既に昔確かめていたのに。

見えるわけがない。

(いや、見えなくていい・・・)

彼女もそんなことを望んでいるわけがない。

今日、ここに来たのは、仕事だった。
エルミナに花を届けることを頼まれた。代金だってきちんともらっている。

これは仕事だ、そう思っても、その道程に普段よりも時間をかけてしまった。

その結果、こうして花は散り始めていた。
ぱたぱたと、花びらが落ちていく。

それはまるで、赤い涙のように。

これを託された時の、エルミナの涙を思い出した。
気丈な母親は、彼女のことを知らせた時も、クラウドたちに涙を見せなかった。
しばらくたっても泣いた姿は見られなかった。

彼女の母が泣いたのは、久しぶりに花を見た時だった。
花を見ると彼女を思い出すと、母は泣いた。

今クラウドが握る花束は、そんな母から娘へのプレゼントだった。

他人の涙は苦手だ。

その一粒一粒が、胸の中一杯に満たされて、溺れそうになる。

苦しい。辛い。

(責めないでくれ――)

「・・・っ」

自分が今考えてしまったことに、クラウドは息をのむ。

何てことを思っているんだ。

クラウドは唇を噛み、目を一度つぶる。

やはりこの場所は駄目だ。

引きずられる、連れていかれそうになる。

過去の罪に。

今でも鮮明に思い出すことが出来る。あの情景を。

倒れる姿、揺らめく栗色の髪。目の前を染める赤い血、届かない自分の手。
皆が彼女のもとに伏し、大粒の涙をこぼしていた。

ユフィや、大の男たちも、そして――

(ティファも・・・)

ティファは皆の一番最後に泣き始めた。
お別れを言い彼女の亡骸を湖に沈め、それからだった。
我慢していたのが堪えられなくなるように、心の堰が切れるように。

ただクラウドがそれを知ったのは、もっとずっと後になってからだった。

あの頃のクラウドは、自分のことだけで手一杯だったから。

そしてそんな仲間たちを笑う男の影があった。
けれどその影は、やがて別の男の顔に変わっていく。少しずつ、歪んだ笑顔、虚ろな魔洸の瞳。

その顔が誰のものか、クラウドはもうとっくに知っていた。

いつも見るありえない悪夢。

自分に植え付けられた歪曲された現実。

(彼女を殺したのは、俺・・・)

そこでクラウドは目を開けた。

白い砂と輝く水面が、閉じていた目に眩しかった。

誰もクラウドを責めたりはしない。

彼女も、彼女の母も、仲間たちも。世界の誰もが、クラウドを責めることはない。

けれど仕事で世界を巡るうち、クラウドは知ってしまった。
あの戦いで流れた多くの血、失われた命、変えてしまった未来。

これでよかったのだと何度自分を肯定しようとしても、過去の自分が追いすがるようにクラウドを責めた。

胸が苦しい。泣きたくなる。

すがりたくなる。

(ティファ・・・)

今は隣にいない、大切な人をクラウドは想った。
いつも明かりのように、自分の先を照らし見守ってくれる人。

どんな時も、ティファが光だった。

過去も、今も。

(きっとこれからも・・・)

彼女にまたすがりたかった。

でもそれが、彼女を泣けない状態にしていたことを、クラウドはもう気がついている。
今度は自分が彼女を支えていかなければいけないのだ。

くっと唇を強く引き結ぶと、クラウドは持っていた花束を水面へと放る。

しぶきを上げたそれは、一度沈みそうになるが、ゆっくりとまた浮き上がった。
綺麗な蒼の間に揺れる赤は、やはり誰かの涙のようだ。

これがティファの涙でないことをクラウドは願う。

エッジのセブンスヘブンを出てから、もう一週間は経っていた。
その間、ティファたちと連絡をとったのは一度きり。
ここに来ることはもちろん言っていなかった。

ここに来て、死んだ彼女を想い、自分を責めて泣くティファを見たくなかった。

(そうだ・・・)

責められるのは、自分だけで十分だ。

ティファまで、過去に責められる必要はない。

(俺だけでいいんだ)

自分だけで。

「すまない、エアリス・・・」

何度も心の中で口にした言葉。

ぽつりと呟いたそれは、水底へと届くだろうか。
何について謝ったのかわからなかったが、そう言わずにいられなかった。

ティファをここに連れてこなかったことだろうか。
二人はとても中が良かったから。

しかしその謝罪は彼女にではなく、世界に向けてのようだった。

「ティファは、大丈夫だ・・・」

エアリスにそう告げてみる。

彼女が一番心配しているのは、なんとなくティファのような気がしていた。
「俺も」と、付け加えるようにクラウドは言う。

揺れる花束が徐々に奥へと流されていくのを見届け、クラウドはきびすを返した。
引かれそうになる心を、必死に手繰り寄せ連れ戻す。

「・・・・・・」

それでもやはり、振り返らずにはいられなかった。
恐ろしいほどの静寂に、規則的な波の音だけが、幾度も繰り返されていた。

たった一人でここに眠る彼女を思うと、罪悪感に駆られる。
自分はこれから暖かい家に帰れるのに――

(あんたはここで、たったひとり・・・)

冷たい水だけが、きっと彼女を撫でている、抱きしめている。

「くっ・・・」

指の先から凍えるような感覚がして、クラウドは身をすくめた。
アイシクルロッジに近いここは、薄着の身体には毒のようだった。
気がつかなかったが、いつの間に息が白く凍り始めている。

「寒いな、ここは・・・」

誰かに話し掛けるよう、クラウドは呟く。

目に浮かぶのは、暖かな家。そ
こではきっと、ティファとマリンが待っていてくれる。

クラウドは元来た道を歩み始めた。
砂に落ちた足跡を辿れば、迷わずに帰れるはずだった。

(もし消えていたら・・・)

帰るなということかもしれない。

温かいところに帰る資格がないと。

自分の馬鹿げた考えに、クラウドは苦笑する。
歩く先に、一枚の赤い花びらが落ちていた。

それはあるはずのない風に吹かれるように、クラウドの目の前で一度舞うと、湖へと運ばれていくよう消えていった。
その不思議な光景を、不思議とは思わずにクラウドは目で追う。

だが、最後まで目で追うことはせず、振り返らなかった。

花はきっと、彼女に届いたのだろう。

彼女の母はこれをプレゼントといっていたが、やはりまるで献花のようだと、クラウドはそう思った。

 

 

 

 

 

クラウドが久しぶりに家に戻ったとき、エッジの『セブンスヘブン』の扉は硬く閉ざされていた。
ドアノブを回しても開かない扉に、クラウドは思わず眉間にしわを寄せる。で
もすぐに仕方がないと、ため息をつく。

帰ると知らせていたわけでもない、いなかったことを責める道理はないのだ。

取り出した鍵で扉を開けると、店の中はもちろん空っぽだった。
静まりかえった店の中は、普段の賑わいを考えるととても寂しい感じがした。

しかしすぐに帰ってくるだろうと、クラウドは自室に向かうことにする。
階段を上り、廊下の先に。

この一週間でたまった伝票の束を机に投げる。
たいして整理をしているわけではなかったが、仕事とするならば伝票を作るべきだとティファに言われていたのだ。

「ふぅ・・・」

一週間の仕事でたまった疲れを、ため息と一緒に吐き出した。
背にあった重たい剣を降ろし、手袋も外す。

早くティファとマリンに会いたかった。

ミッドガルはもうすぐ夏を迎えるはずなのに、あの場所に行ってから、ずっと指先が凍えるようだった。

二人と笑って話をして、少し手を握れたら。

(きっと大丈夫だ・・・)

俺は大丈夫。

何がと問われたらきっと答えられないが、クラウドはそう思う。

やがて道路に面する窓から、待ちわびた声が聞こえてきた。
友人同士のような、時には親子のような、楽しそうな話し声。

「ティファ・・・」

声に出さずに名前を呼び、クラウドは部屋を飛び出す。

早く、会いたい。

けれど階段のところまで来て、足が止まる。
子供のように浮かれる自分が、急に恥ずかしくなる。

いい大人が、何を浮かれているのか。

こんなにも彼女を求めるのは、まだその存在に、すがってしまっているからだろうか。
そうだとしたら、なんて情けない。

あの場所に行っただけで、こんなにも揺らいでしまう自分。
ちっとも成長していない。

「・・・・・・」

自分を呆れるように笑うと、クラウドはわざとゆっくり階段を降り始めた。
店のキッチンからは、買い物帰りの二人が、荷解きをするにぎやかな声が聞こえていた。
階段から店へと続く入り口に、クラウドは姿を表した。

「おかえり、ティファ。マリンも」

笑うのは少し照れくさいが、クラウドは歯をのぞかせる。

「クラウド!」

マリンは驚きながらも、クラウドの足にしがみつく。

「お帰りなさい!さっきティファとね、クラウドが早く帰って来ればいいねって言ってたの!」

マリンはそう言うと、同意を求めるようにティファに振り返った。
自分の口にした願いが、遠からず叶ったのが嬉しくてたまらないといった様子だ。

「本当だね、良かった。・・・お帰りなさい、クラウド」

最後のほうはマリンにではなく、クラウドへと微笑んでティファは言う。

その笑顔が一週間前、別れた時とまったく変わらないことに、クラウドは安堵する。

こんな世界だ。
たった一週間で、どんなことが起きるかわからない。

「ただいま、ティファ」

そうクラウドは言うと、二人はお互いに気恥ずかしそうに微笑んだ。
たった一週間なのに、こうやって会うのがずいぶん久しぶりのような気がしてしまった。

「・・・ティファ、私、お部屋に飾ってくるね」

なんの脈絡もなくマリンはそう言うと、手に何か新聞紙に包まれた物を持ち、階段へ向かっていく。

「え、あ、うん。お願いね、マリン!」

ティファもそれに少し驚いたようで、言葉に詰まる。

「・・・飾るって、何を買ってきたんだ?」

クラウドはそれまでまったく興味を持たなかった、カウンターにあった荷物へと目を向ける。

そこにはいくつかの食料品の包みと一緒に、沢山の花が置かれていた。
手に持てるだけ持ってきた、そんな感じだ。
綺麗なラッピングを施されたわけでもなかったが、花は瑞々しく、それだけで十分に美しかった。
マリンが持っていったものと同じように、古い新聞紙に包まれている。

薄いピンク色の花弁が、愛らしくほころんでいた。

「今日、市場に行ってね、お花見つけたの・・・。綺麗でしょ?」

「あ、ああ・・・」

うなずいて見せたものの、クラウドの視界によぎるのは美しい花ではなく、人もいない寂しい砂ばかりの都だった。

そこに浮かぶのは、涙のような幾つもの花弁。

「お花飾れば、お店の中も明るくなるでしょ?皆が元気になってくれればいいなって思って」

ティファはにっこりと微笑む。
その笑顔は花のようで、クラウドは眩しくて目を眇める。

やはりティファは光だと、クラウドは思う。

その光に照らされる自分。

そしてこの光を一時でも曇らせたのも自分。

今度は守ろうと思っていた。
ティファの光を、暗い部分は自分だけが引き受ければいいのだ。

「お花が売られてるなんて、エッジの皆が、元気になってるからよね・・・」

「きっと、そうだな」

初めはこれからの未来に死んだような目しか向けられなかった人々も、徐々に強い光を取り戻そうとしていると聞いていた。
市場が賑わい、人々の生活に活気が出るのは、きっとそういうことなのだろう。

(ティファも、な・・・)

最初は不安げな表情を見せていたティファも、『セブンスヘブン』を始めてから、ずいぶん明るい笑顔を見せてくれるようになっていた。

ティファの中で、少しずつ過去との折り合いがついてきた証拠だろう。

よかったと、心から思う。

そうして、あの都の湖で思ったことが、強く胸を支配した。

(責めるなら俺だけでいい)

責められるのは、自分一人で十分だった。
過去から、世界から。

そうやってティファの笑顔が守れるなら、いくら責められたって構わないだろう。

「飾るんだろ花。手伝うよ」

「ありがとう・・・」

ティファがちょうどいい長さに切った花を、花瓶の変わりに空き瓶へと生けていく。
それは少し不恰好だったが、それぐらいのほうがこの店には合っているとティファは笑った。

「皆が元気になりますように・・・」

ティファが祈るように呟く。

この花たちが皆を元気にする花なら、クラウドにとってはティファがまさに花だった。
いつも傍らで咲いていてくれた。

今もクラウドの隣でほころんでいる。

(じゃあ、俺が・・・)

ティファの幸せを祈ろう。
もうその笑顔が曇らぬように、涙が零れぬように。

世界の辛さも、残酷な過去も。

ティファを責めるものがあれば、全部俺が引き受ける。

ふっとクラウドが横を見ると、ティファは花を愛しそうに撫でていた。
光に照らされたその横顔があまりに綺麗で幸せそうで、花に触れるように、クラウドもその手を伸ばしたくなる。

触れて、抱きしめて。

この凍えた身体を、その優しさで、温めて欲しい。

動かしかけた腕を、クラウドはかろうじて押しとどめる。
ゆっくりとその手を、また花瓶替わりの瓶へと戻す。

冷たい、硝子の感触。

これでいい。

すがってはいけない。

頼ってはいけない。

彼女を抱きしめたら、きっと一緒にこの責めを負わせてしまうだろう。
一緒にあの場所へ、花を捧げに行ってくれるだろう。

けど違う、そうじゃない。

大切な人だから、一緒に泣いて欲しくない。
たとえ自分が涙を零しても、彼女には笑っていて欲しかった。

(だから――)

触れない。

こうやって、隣で笑ってくれていればそれでいい。

それで、いい。

「ねぇ、クラウド。この花ね・・・」

「ティファ」

ティファの言いかけた言葉に気がつかず、クラウドは言葉をかぶせた。
きょとんとしたティファだが、それ以上は続けず、クラウドを微笑んで見つめる。
クラウドの言葉を待ってくれている。

「ずっと、そうしていてくれ・・・」

「・・・そうって?」

「花を、ずっと・・・」

花のようにずっと。

笑っていてくれ。
願わくば、自分の隣で。

一度途切れさせた言葉を、クラウドは続ける。

「店に飾っててくれ・・・」

皆が喜ぶからと、クラウドは付け加え、また作業に戻った。

「・・・うん」

ティファが嬉しそうにうなずく。

償うのは俺の役目。
凍える指先も、あの静寂の世界も、涙のような花弁も。

ティファは、光を与えてくれる。

花を飾って皆に、俺に、光を。


だから、捧げる花は、俺が――。

 

 



 

 

 

パキンと小さな枝のような珊瑚が、クラウドの靴の下で折れた。
どこか楽器のように物悲しい、澄んだ音だった。

無音の世界で、やはりその音はよく響く。

クラウドはまた一人、あの湖を目指していた。

ティファにもマリンにも、ここに行くことはやはり秘密にしていた。
罪悪感がないわけではなかったが、それよりもティファにつらい過去を思い出させたくなかった。

エアリスとの楽しい思い出だけ、それだけ抱きしめていてくれれば。

辛い思いでは全部自分が引き受けるから。

湖のふちに立つと、また以前と同じように、風もないのに水面が揺れていた。
映るクラウドの表情を、またぼんやりと見えなくさせる。

「エアリス、また、あんたの母親に頼まれたんだ・・・」

右手に持っていた花束を、湖へと投げ込む。
それはこの前と同じに一度沈み、また姿を現す。

今日の花は真っ白な百合だったので、その花弁が散って広がることはなかった。

ゆらゆらと回りながら、花は奥の方へと押しやられていく。

静寂を破る電子音が響いた。

その音がクラウドの動きを止める。
空いた右手で取り出した携帯電話は、彼女からの着信を知らせていた。

「ティファ・・・」

一瞬だけためらって、クラウドは通話のボタンを押す。

聞こえてくるのはもちろん、愛しいティファの声。

優しい声。

この声が、ずっと好きだった。

「ああ、俺だ。・・・どうしたティファ?」

電話越しの声が少しだけ普段より小さくて、クラウドはたずねる。
けれど反対に、ティファから別のことを聞かれてしまった。

「俺は、今――」

どこにいるのかと聞かれ、視線を回りに走らせる。

『忘らるる都』にいるといえば、きっとティファはエアリスを思い出すだろう。
しかもあの時を。

そしてまたきっと。

(泣くんだろう?)

だからクラウドは嘘を付いた。
彼女を守るための嘘、を。

「・・・コスタに来てる。ああ、すごい暑い・・・」

息を白く染めながら、クラウドはそう答えた。

「リゾート地みたいなところだからな、・・・賑やかだよ」

常夏の街『コスタ・デル・ソル』を思い浮かべようと、クラウドは目をつぶる。
賑やかな人々の声、海辺を水着で走り回る子供たち。

そんな情景を浮かべようとしたが、だがそれは上手くいかなかった。

ここはあまりにも、静か過ぎる。

同じなのは、水の、水面の音だけ。

「海のそばに、花が咲いてる・・・」

怪しまれないように話そうとしたが、この場所に花が咲いてるわけもなく、あるのは湖に浮かぶ花と――

「白い花と、・・・ピンクの花だ」

記憶の中で咲く、ティファの側にあるあの花を思い浮かべた。
あのピンクの花は、今も彼女の側で咲いているだろうか。

「花がすごい綺麗で、皆、楽しそうだな・・・」

ティファが嬉しそうに笑うので、クラウドも同じように電話越しに笑う。

そんな風なら、どんなにいいだろう。

そう思うと、つんと胸が苦しくなった。

目の奥がなぜだか熱い。

そんな世界だったなら。

携帯を握る指が、寒さで痛い。

そして、心も。

でもこの痛みを自分だけが感じることで、ティファを守れるなら。

(どんな痛みだって、かまわないんだ・・・)

「いつか、ティファと、・・・もちろんマリンも。皆で一緒に行こう」

そう、いつか。

ずっと先になるかもしれないけれど。

叶えられないかもしれないけれど。

(いつか・・・)

償う者だって、微かな願いを持っていたっていいだろう?

「世界はもう、大丈夫だ、・・・ティファ」

守るから。

世界から、過去から。

俺が、ティファを。

だからティファは、大丈夫――

ふっと微笑むと、クラウドはティファにそろそろ仕事に戻ると告げた。

「まだ仕事が残ってるから、帰るのは三日後くらいになると、思う。・・・ティファも気を付けろ、マリンを頼む・・・」

電話を切る前に、クラウドはもう一度同じ言葉を繰り返した。

「大丈夫だ、ティファ・・・」

電話を切る。
また無音の世界が、クラウドを取り囲む。

優しい声は消え、あるのは水の音だけ。
この現実が、クラウドの今の世界。

わかっている。

この辛さを、孤独を、過去からの罪の意識を。

一人で抱え込むのがどんなことか、それでも――

(俺は、大丈夫だ・・・)

クラウドはもう一度、水面に投げた花を見やった。
白い花弁は波の勢いに耐え切れず、はらはらと水の上で散り、広がっていく。

それはやはり、涙のようだった。

「誰が、泣いてるんだろうな・・・」

誰も答える相手がいないのはわかっているのに、クラウドは声に出して呟いた。

(ティファじゃ、ないよな・・・)

さっきの電話での明るい声を思い出し、クラウドは微笑む。

「じゃあ、あんたか、エアリス・・・?」

水面を覗き込んでも、その奥が見えるわけがなかった。
戯れにクラウドは岸辺にしゃがみ、その水底をより近くに見ようとした。

着いた手に、珊瑚の砂は心地良かった。

「・・・・・・」

そこに映るのは、クラウドだけだった。

そしてその表情は――

涙のような花弁が、ゆらゆらと浮かびながら、水面に映るものを滲ませていった。
見る前に消えた自分の顔に、クラウドは苦笑する。

「俺が泣いてるって、いいたいのか・・・?」

答える声は、もちろんない。

また胸が苦しくなる。

責められるのは自分ひとりでいいと決めたはずなのに、ティファがいないと途端に心細くなる。
不安に駆られ、真っ暗な闇に支配されたような気分になる。

心が、身体が、凍えていく。

両の拳を握り締めて、その弱い想いを振り払おうとした。

償うと決めたのだ。

彼女と、そして世界に。

許してくれとは言わないから、せめて、安らかに。

「俺は、俺たちは・・・、大丈夫だよな・・・?」

自分に問いかける振りをして、彼女に答えを求めていた。
進む未来の険しさに、思わず灯りを求めてしまう。

償うべき相手にまで。

(すまない・・・)

また誰にでもなく謝り、クラウドは立ち上がる。

これ以上ここにいては、戻れなくなってしまいそうな気がした。

クラウドはいつかのように、足跡をたどり、道を戻り始める。
今日もまだ、砂に残った足跡は、消えてなくなったりはしていなかった。

そのことに、僅かだが安堵する。

まだもう少し、あの花のそばで笑っていたかった。

ティファのそばで。

いつか、終わりがくるまで。

(だから、エアリス・・・)

それまで見守っていてくれ。

自分ではなく、ティファだけでも――

そう願って捧げた花は、誰かの涙のように、いつまでも水面を漂っていた。






end 








後書きという名の言い訳。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。
・・・色々と言い訳です。(笑)
勢いとノリで(?)始まった合同誌の、クラウド目線側の小説原案です。
私と亮さんの二人であーだこーだと言い合ったお話を、一回文章にしてみました。
私が書き散らかしたこちらのお話を、南路亮さまがあのような素敵漫画にしてくださっています。
本当に素晴らしいです。切なくて、もどかしくて、すれ違う二人。
この小説もどきから、あんな凄い漫画が描けてしまうなんて、亮さんの才能は本当に凄くて大好きです!
大好きなクラティの本を、作家として尊敬する亮さんと二人で作れたのは、本当にありがたい光栄な体験でした。

こちらの小説はあくまで原案ですので、亮さんの漫画が正式な「この花の、色は」のお話です。
若干異なる部分もあるかもしれませんが、そういったのも笑いながら楽しんでいただければと思います。






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